昨年のクリスマス・イブ、BOØWYが解散を発表した渋谷公会堂のライブからちょうど20年目にあたるその日にリリースされた、DVD8枚組のボックスです。 内容としては、これまでのBOØWYのレパートリー全てを演奏するというコンセプトのもと、1987年7月31日、8月7日の両日に神戸と横浜で全39曲、4時間にわたって行われたライブ、「"GIGS" CASE OF BOØWY」の完全版をはじめ、2001年にNHKで放送されたBOØWYのドキュメンタリー番組、その他今回が初商品化となるライブ映像をまとめたもの。 この内容については、収録されているほとんどのライブが1987年のほぼ同時期に行われたものであったり、既にYouTubeなんかにもアップされているものだったりと、賛否両論あったようですが、往年のファンとしてはやっぱり買わざるを得ないかなという。。。 まぁでも、「CASE OF BOØWY」の全曲を演奏したままの曲順で見られたのはやっぱり良かったかなと。特にライブバージョンの「"16"」が一度聴いてみたかったんだよね♪ 前回の「LAST GIGS」しかり、だったら最初からこっち出してYO!って感じだけど。 この「CASE OF BOØWY」と、1986年のJUST A HEROツアーのライブを収録した「BOØWY VIDEO」は、高校の頃、ほんとにテープが擦り切れるぐらい見ていました。 当時、学校の友達とバンドを組んで、BOØWYのコピーをやったりしていましたが、ボーカルだった私はこのビデオを見て、氷室の歌い方を鏡を見ながら真剣に真似していたものです(笑) 髪型も氷室を意識して、普通に学校に行くのにも、ダイエースプレー(謎)で朝一生懸命立たせて行っていました。(おバカ) その頃はX(JAPAN)も結構全盛の頃で、学校の先生によくヘヴィメタと言われていましたが、心の中では「いや、違うから」と思っていたのでした。 バンドのほうは、文化祭と、あとライブハウスで1回だけライブをやりました。 だいたいいつも土曜日の学校帰りに、街の楽器屋の2階にあるスタジオで練習していましたが、下手でも自分達だけの演奏でBOØWYの曲ができるというのがすごく楽しくて、気持ちよくて、時間を忘れてやっていました。 で、練習が終ったあとのロビーでの一服がまたうまいのなんのって。 (注:喫煙は二十歳を過ぎてから) ライブのときは母親のアイシャドーとかファンデーション借りてメイクしたっけ。 とりあえず塗っただけって感じの(笑) あと、文化祭でのちょっとしたエピソードをひとつ。 その年は確か出場希望のバンドが例年よりも多くて、最初にデモテープの予選をすることになったのですが、あろうことか全然余裕で通過だと思っていた自分達のバンドが予選落ちしてしまい、納得のいかない私は審査をした先生のところにズカズカと抗議に行って、結局1バンドの演奏時間を短くするということで応募のあったバンドは全部出られるようにして頂いたという。。。 今想いかえすと、なんて我が儘な、と恥ずかしくなりますが。 その先生にはあとでちゃんとお礼を言いに行きましたm(__)m その後、大学へ進学してまわりの環境も変わっていくに従って、BOØWYと私の熱い青春も徐々にフェイドアウトしていき、やがて大人の落ち着いた関係?へとかたちを変え、つかず離れずの距離感をキープしたまま今日に至ります。 さて、BOØWY解散20周年記念のプロジェクト、「BOØWY 20TH ANIVERSARY FROM BROKEN 2007-2008」も、「LAST GIGS COMPLETE」のリリースで終わりのようです。 あとは、JUST A HEROツアー最終日、武道館ライブのDVD化、待ってます☆ 「ライブハウス武道館へようこそ!」
音楽雑誌「B-PASS」で1986年から1988年までの2年間に掲載されたBOØWYのインタビューやライブレポ、特集記事などをまとめた一冊。 スタジオ撮り下ろしの写真やオフショットなど、今では超レアな写真が満載です。 ちなみにこの「PATi PATi」版も先日発売されました。 うぅ、どんだけ買わせるんだよぉ。。。 ![]() |
ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た― という書き出しで始まる、英国の女流作家ダフネ・デュ・モーリアが1938年に発表した、秘めやかで魅惑的なゴシックロマンの香り漂うサスペンス・ミステリーです。 大学の頃に読んで、あらすじはほとんど忘れてしまっていたのですが、作品の雰囲気は妙にずっと印象に残っていて、今回、本屋でその新訳が出ているのを見つけて再読しました。 ちなみに現在、日比谷で本作のミュージカルも上演中のようですね。 物語は、主人公の“わたし”がとあるホテルの一室で、かつてのマンダレーで過ごした夢のような日々を回想していくところから始まります。 「まっすぐのショートヘア、白粉もはたかないいかにもうぶな顔、不似合いな上着とスカートに、自分で編んだセーターを着て、ヴァン・ホッパー夫人のあとについていく、臆病で落ち着きのない仔馬のようなわたし。」 雇い主である夫人とモンテカルロに滞在していたわたしは、海難事故で妻を亡くした貴族のマキシムに出会い、イギリスのマンダレーと呼ばれる地所の大邸宅に後妻として迎えられる。 しかし、マンダレーでわたしを待っていたのは、いたるところに色濃く残されて漂う、才知と美貌のベールを纏った先妻レベッカの影。 そして、今なおレベッカを崇拝する家政婦頭、ダンヴァーズ夫人の冷たく敵意に満ちた視線。 門から奥深く続く私道、庭に咲き誇るツツジの群生とバラ園、優雅で美しく完璧なシンメトリーをなす屋敷、食卓を埋め尽くす豪華な料理、芝生の彼方に広がる海岸線、林の中をひっそりと静かに流れる〈幸せの谷〉、華やかで盛大な仮装舞踏会、大きく斜めにかしいだRの文字。。。 何もかもがこれまでと違うマンダレーでの生活に戸惑うわたしは、次第にマキシムの自分に対する愛への不安と、レベッカへの狂おしい嫉妬に苛まれていく。 やがて、マンダレーの海岸の湾で船が座礁したことをきっかけに、湾の底からレベッカのヨットが発見され、キャビンの床には既に葬られたはずのレベッカと思しき白骨死体が。。。 マキシムが胸の奥に抱えた秘密とは。 そして、レベッカの死の真相とは。。。
“レベッカ”繋がりということで。 このアルバムも当時すごくよく聴いていました。 「フレンズ」、ヒットしましたよねぇ。。。懐かしい(@_@) NOKKOも最近全然見ないけど、まだ音楽活動は続けられているようです。 そう言えば、今週のスマスマでバービーボーイズが一夜限りの復活をされていましたね。 思わずビデオ録画して見ちゃいました。 でもやっぱりちょっと歳は隠せなかったかな^^; ![]() |
こうなりました。さらっさらです♪ 所要時間は3時間半ぐらい。 前髪はちょっと?長めだけど、後ろはかなりすっきりしました。 air(エアー) 行きつけの美容院です。 休みの日は結構混み合いますが、開放的でスタイリッシュな店内で、 スタッフゥ〜の対応も丁寧で感じがいいです。 いつも担当してもらう店長のKさんが素敵です☆ ![]() |
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第二次世界大戦の最中、一人の外交官がヒトラーの魔の手から逃げてきた人々を命がけで救った物語である。。。 吉川晃司、初ミュージカル、初主演ということで観て来ました。 最近は映画「チーム・バチスタの栄光」に出演したりと、音楽活動以外にも精力的に活動の幅を広げている感じですね。 映画のほうは結局観に行けなかったけど。。。(=_=) 第二次世界大戦中、リトアニアの領事代理であった杉原千畝(ちうね)が、ナチスの迫害によってポーランドから逃亡してきたユダヤ人に、外務省の命令に反して国外へ亡命するための通過ビザを発給し、6000人ものユダヤ人の命を救ったという実話にもとづくミュージカルです。 ちなみに「SEMPO」というのは、ユダヤ人が“ちうね”の発音が出来なかったために、杉原自身が“センポ”と音読みで呼ばせた名称で、海外では「センポ・スギハラ」、「日本のシンドラー」とも呼ばれるそうです。 そしてそのセンポこと杉原千畝役はもちろん、吉川晃司。 高校のときに組んでいたバンドでCOMPLEXの曲をコピーしたり、ソロになってからも結構好きでよく聴いていましたが、生歌を聴くのはなにげに初めてなのでした。 でもなんか、歌が上手いのはまぁ当然として、初ミュージカルとは思えない堂々とした貫禄と、すらっと均整のとれた体型で、すごく舞台映えしていてかっこ良かったです。 千畝の妻役で出演予定だった愛華みれさんが病気で降板になってしまったのは残念でしたが、内容のほうもすごく良くて、後半はちょっと感動して泣けました(;_;) あと、今回の作詞作曲を中島みゆきが担当しているというのも見(聴き)どころのひとつです。 余談ですが、いつも舞台を観に行くと、ロビーに飾ってある出演者へのお祝いの花が誰から届いているのかを見るのがささやかな楽しみなのですが、今回は吉川晃司に届いていた花の中に山下久美子の名前を見つけました。赤い薔薇でした。 他には、南原清隆、勝俣州和、なんて名前も。 ちなみに布袋寅泰の名前は、、、ありませんでした。。。 私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。 私には彼らを見殺しにすることはできなかった 私も戦争を知らない世代ですが、きっと人間らしく生きることすら難しかった当時の社会のなかで、ひとりの人間として世界的に評価される日本人がいるというのは、戦争によって多くを失った日本人にとってのせめてもの救いのような気がします。 東京公演は22日(火)まで。 まだ空席もあるようなので、ご興味のある方は是非足を運んでみては☆
スティーブン・スピルバーグ監督のアカデミー賞(作品賞、監督賞他7部門)受賞作。 「今まで観た映画で一番良かったのは?」 と聞かれると、この映画の名前も候補に浮かんできます。 思わず目を覆いたくなるようなショッキングなシーンも多くありますが、最後に戦犯となって逃亡するシンドラーに、彼が救ったユダヤ人たちが感謝の気持ちを込めたひとつの指輪を渡すと、シンドラーが「自分はもっと多くのユダヤ人を救えたのにそれをしなかった」と号泣するラストシーンに、涙が止まりませんでした。 その指輪に刻まれた言葉。 「一人の命を救うのものは、全ての命を救う」 戦争という悲劇を、二度と繰り返さないために。 ![]() |
愛用のキーホルダーです。薔薇、蝶、紫、とくれば、これはもう必然の出逢い。 ハンドタオル(紫)も持ってます♪ さすがに服とかは持ってませんが^^; ちなみに昆虫嫌いの私ですが、ブログの背景を見てのとおり、蝶は好きです。 まぁ、蝶が嫌いって人はそんなにいないと思うけど。 あ、いた。 「俺は蝶は嫌いだね。だってアイツ等、まっすぐ飛ばないからさ。ひねくれものはごめんサ」 by 氷室京介
続きはこちらでどうぞ(笑) ![]() |
4人でしか探せなかったモノ。 自分達で有り続ける事へのこだわり。 今度はひとりひとりで有り続ける事にこだわる為に BOØWYは昨日のクリスマス・イヴを選びました。 最後のGIGSは必ず来年プレゼントします。 1987年12月24日、渋谷公会堂でのライブにて解散を発表したその翌日、全国の主要新聞各紙に掲載された、BOØWYのメンバー4人名義での解散メッセージです。 これは当時実際に私も新聞で見た記憶があります。 そしてその彼らからファンへの最後のプレゼントが、翌年4月4日、5日に落成間もない東京ドームで行われたライブ「LAST GIGS」。 したがって、この時点では既にBOØWYは解散した後なわけですが、これはファンのためへの2夜限りの再結成であり、氷室曰く「早すぎる同窓会」ということで、まさにBOØWYとして公の場で演奏した最後のライブです。 2日分のチケット10万枚はわずか10分でソールドアウト、チケットの申し込みで文京区の電話回線が一時パンクしたという逸話はあまりにも有名です。 それから20年の時を経て、そんな伝説のライブを完全収録した“完全版”がこちら。 なにが“完全版”なのかと言うと、2001年10月発売のDVD「LAST GIGS」(1988年5月発売のCD「LAST GIGS」と同内容)には未収録だったアンコール5曲を含む11曲と、氷室のMC部分が今回新たに追加収録されたということで。 だったら始めからこっち出してYO!!っていうのがファンとしての正直なところですが。。。 でも往年のファンにとっては、やっぱりこれは買うしかないでしょう(=_=) 音源は基本的にこれまで同様4月5日(2日目)のものが使われていますが、アンコールの「ホンキー・トンキー・クレイジー」はなぜか4月4日(1日目)のもののようです。 上手く編集してありますが、私の目は誤魔化せません(笑) でも、こうして20年経った今見てもBOØWYはやっぱり、かっこいいです。 この時の彼らは今の自分よりもだいぶ年下なのに、全然そう見えないのが不思議です。 思えば私とBOØWYとの出会いは、中学2年の時に友達からテープをダビングして貰って聞いた「PSYCHOPATH」(6thアルバム)。 当時は「MARIONETTE」がベストテンの1位になったりしていましたが、その頃はBOØWYがテレビに出演することは全然なくて、初めてメンバーの容姿を見たのは本屋で立ち読みした音楽雑誌でだったと思います。 整ったシャープな顔立ちにツンツンに立てた髪、濃い目のメイクで鋭い視線を放つ氷室京介を見た時の衝撃。。。世の中にはこんなにかっこいい人がいるんだってマジで思いました。 それからどんどんBOØWYの魅力にはまっていって、解散後もそれは全く衰えることなく、私の青春時代はまさにBOØWYとともにあったと言っても過言ではありません。 高校に入ってなかなか回りの空気に馴染めなかった時も、素行が悪くて学校を謹慎処分になったときも、好きだった子に告白して敢え無く撃沈したときも、毎日夜遅くまで受験勉強にいそしんでいたときも、常に頭の中のどこかにはBOØWYの存在があって、ときに励まし、ときに支えられていたように思います。 私にとってBOØWYは、そんな特別な青春の1ページです。 「こんなかっこいいギタリストは日本にこれから出てこないと思います」 2度目のメンバー紹介で、氷室が布袋をこう紹介します。 そしてその後に布袋から差し出された右手に、氷室も笑顔で応じます。 バンドが解散しても、ふたりはきっと永遠の友であり、ライバルなのでしょう。 次回へつづく。。。(たぶん) ![]() |
〈包帯クラブ〉とは、インターネットを通して 「傷ついた出来事を投稿 → 傷ついた人の傷ついた場所に包帯を巻きに行く → 手当てした風景をデジタルカメラで撮影、投稿者のアドレスに送る」 という活動。 目の前の現実に対する疑問と苛立ちと抱えた女子高生のワラ(石原さとみ)と、おかしな関西弁を話す一風変わった少年ディノ(柳楽優弥)。 病院の屋上でのふたりのふとした出会いから、傷ついた人の心を癒すため、依頼された場所に包帯を巻いて回るクラブを結成した若者たちが、やがて他人の傷や仲間の傷を知ることで、自分自身とも向き合っていくという青春グラフィティです。 映画館に観に行こうと思いつつ見逃してしまったのでDVDを借りて観ました。 人間誰しも心に消すことのできない傷を持っているもの。 時間が経って風化しているように見えても、ふとしたきっかけでまた思い出しては疼く古傷。 そんな心の傷に優しくそっと包帯を巻いてくれる人がいたら。。。 私にも依頼したい場所がひとつだけあります。 日々の忙しさに追われる生活や些細な損得にとらわれて忘れがちですが、相手の心の痛みを知ろうとすることで、変わること、変われる自分というのは、きっとあると思います。 求めるのではなく、与えることで得られるもの。 「包帯一本巻いて世界が変わったらめっけもんや」、ね。 ![]() |
最近はまってます。 1950年代から1990年代までの邦楽ヒット曲を各年代ごとに集めたコンピ。 いつもTSUTAYAに行くと、“懐かしの日本の歌”コーナーにこれがずらーっと並んでて、ちょっと気にはなってたんですが、最近(ひとり)カラオケに行くようになって、歌本で昔の曲名とか見てたらなんか無性に聴きたくなりまして。 というか歌いたくなりまして。。。 でもやっぱり、年代的には70年代後半から80年代前半ぐらいまでの歌謡曲が一番聴きやすいかなぁ。当時はもう小学生になってるから、テレビとかで流れてるのを普通に聴いてたし。 なかでもすごく覚えてるのは、寺尾聰の「ルビーの指輪」。 確か当時「ザ・ベストテン」って歌番組で何週間も連続で1位になってて、その頃ってまだ小さいから、アニメの曲はレコードとか持っててよく聴いてても、歌謡曲とかよく知らなくて、でも寺尾聰が歌ってるのを見て、かっこいいなぁ、いい曲だなぁって。 それまでにも、キャンディーズとかピンクレディーとか新御三家(郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎)とか、テレビで耳にはしてたけど。 ドリフの後半で歌ってるのとか見てたし(懐) でもたぶん歌謡曲で好きになった最初の曲が「ルビーの指輪」だったような気がします。 あでも、ジュリーは好きでした♪ で、たぶん同じぐらいの頃に松田聖子とか中森明菜とか、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)とか出てきだして。 聖子ちゃん派か明菜派か、どっち?みたいな(笑) (ちなみに私は明菜派でした) あとなぜか、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」って曲のレコードを親に買ってもらったっけ。 “A地点からぁ B地点までぇ〜♪”って誰も知らないか。。。 でもこうして改めて当時の曲を聴き返してみると、ほんといい曲がいっぱいあって。 青春時代(森田公一とトップギャラン)、九月の雨(太田裕美)、東京ららばい(中原理恵)、異邦人(久保田早紀)、メモリーグラス(堀江淳)、雨音はショパンの調べ(小林麻美)、初恋(村下孝蔵)、ダンスはうまく踊れない(高木澪)、まちぶせ(石川ひとみ)、氷雨(佳山明生)、etc。。。 やっぱり名曲って、いくら時が流れても色褪せないんですね☆ ![]() |
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